「とある弓の本」
前回の更新からだいぶ時間がたってしまいました。
すみません。
最近は診療がだいぶ忙しくなりました。
特に、これまでに歯のことで苦労をしてきて
「噂を聞いて」ここにいらっしゃる方が
多くなってきました。
腕を発揮できる機会が多くなって
大変やりがいを感じておりますが
あと10年早くここに来てくれれば、と
思うことも多いです。
また最近はアポイントが入りにくくて
もう一人自分がいれば
もっと早く解決できるのに、と
思います。
多くの方の治療が数か月から1年
かかります。
今の2週間に一回の治療が
週に一回できるようになれば
治療期間が半分にできる、
悩みどころです。
ところで
最近読んだ本は
「弓と禅」という本。
戦後に東北大の哲学の教師として招かれた
とあるドイツ人が
弓道を習う話です。
的に当てるのに「的を狙うな」という話、
この話は昔どこかで聞いたな、と思っていましたが
この本の内容でした。
彼は弓道の修行の中で悩みつつ様々なハードルを
越えてゆくのですが
ある問題をどうしても解決できず
にっちもさっちもいかなくなり
希望を失いかけます。
そんなある日、彼は師とお茶を飲む機会がありました。
それは偶然なのか、師が意図的にされたのか
わかりません。
彼はこのチャンスに思いのたけを師にぶつけます。
どうしたらいいのか、と。
師は答えます。
「本来、正しい道は
目的がなく、意図がないものです。」
「あなたは意志で行わないと
何も生じないと思い込んでいます。」
さらに食い下がる彼に師は言います。
「あなたは正しく待つことを
学ばなければなりません。」
「時が熟すまで、お待ちなさい」
正しい行いをするのは
天国に行きたいからではなく
地獄に落ちたくないからでもなくて
意志の力でなく、
目的や意図も持たずに
自然に善行を積めるならば
人として、もう大丈夫なのかな、と思うわけです。
そして「正しく待つこと」についてですが、
これは私の現段階での考えではありますが、
最近はSNSでも
子供の成績でも
資産運用でも
すぐに結果が出るものが
要求されることが多く、
世の中全体から
「待つ力」が失われつつあるように思います。
安直な解決策を求めることをせず
地道な努力で力を蓄え
希望を持ち続けて
在り方や姿勢も大事にして
待つことを
「楽しむ」ことではないかと
そうして
自分自身も含めた
人(ひと)の可能性を信じて
待ってあげられる力をつけることが
「正しく待つ」ためには
必要なのではないかと
思っています。
なかなか難しいことですが。
2016年03月31日 00:00