患者さんがつらくなくて結果が良い治療の両立を目指して
歯科の治療で過去に大変な思いをして恐怖感を持っていらっしゃる方もよく見かけます。
患者さんにできるだけ大変な思いはさせたくない。
でも歯のために良い治療はきちんとしたい。
これらを両立させることにこだわりたいと思います。
ここでは私がこのような考えに至るまでの経緯のようなものをご紹介していますがきわめて私的な意見も含まれておりますし長文になりますので興味のある方だけみていただければよろしいかと思います。
昔のことではありますが歯が長持ちするいい治療をうけたいなら治療は辛くて当然と思われていた時代がありました。
患者さんがつらくないように、いい治療をするのは困難であると考えられていたのです。
驚くべきことに、当時名医と言われていた歯科医にも辛い治療を当然の如く施術する人がいました。治療結果はよかったのかもしれませんが。
逆に優しく、痛くせず削るべきところも削らずに済ませてしまえば結局は患者さんが後で大変な思いをして歯まで失ったりするのだから多少治療が痛くてもきちんと治すのが親切なのだ、という考えでしょう。
確かにそうかもしれません。
私も小さい頃よく歯医者に通っていました。
ひと言も口を利かない猛烈に怖い先生でした。
当時はめったに麻酔もせず徹底的に機械で削られあまりの痛みに
目の前が真っ白になるまで我慢しました。
後で聞いたところによるとその先生は私を治療したあと一言
「この子は我慢強いなあ」と言ったそうです。
何も言わない人は我慢しているのです。
歯科なんてこの程度のものと、痛くて当たり前なのだと諦めているのです。
当時私は考えました。
「歯医者を痛くなくできないか」と。
そして歯学部を卒業するころ、その思いはあきらめに変わりつつありました。
希望を持って、いろいろな先生の診療を見学したのですが
たとえば
「痛いですか」と聞いて患者さんが我慢して「いいえ」と言えばさらにスピードアップする先生や、普段はとっても親切な人なのに患者さんの苦痛の表情を無視して治療を続ける先生など
「無痛(むつう)を売りにしてる歯医者にろくな治療をしているやつはいない」
というのが平均的な見解だったのです。
私は別に完全無痛を目指しているわけではありませんでした。
ただひどいことをしたくなかったのです。
そしてこう思いました。
「皆、初めからこんな感性ではなかったはずだ」
「こんな世界に慣れていかなければならないのか?」と。
自分は慣れることはありませんでした。
もともとの性格ゆえか患者さんのつらそうな様子を見ると自分もげっそりと疲れ果ててしまうのです。
しかし、その後、幸運なことに私は
一人の患者さんを丁寧に診療できる体制の医院でばかり、働くことができました。
十分な時間と理解ある患者さんたちに恵まれ「親切な良い診療」を実践する機会に恵まれたのです。
「いい診療を、辛くなく」純粋な理想を手放さないですむ環境に居続けることができました。
ところが次に現れた課題もごまかしのきかない別の意味で厳しいものでした。
十分な環境、理解ある患者さん、仕事のできるスタッフ、実力のある院長、そういう中であぶりだされたもの、それは勤務医である自分の技術・知識の未熟さでした。
歯が長持ちする、きちんとした治療を患者さんがつらくないようにやるということはやはり、歯科医にとっても相当高いハードルだったのです。
そばから見ていればほんのわずかの違いのことも多いのですがそのわずかな違いが治療の質や患者さんの苦痛の除去にどれほど大きなインパクトを与えるか当時はよく認識していませんでした。
大学時代から学んできた歯科手技の
「見る」と「やる」の違い
「やる」と「できる」の違い
「できる」と「正しくできる」の違い
それぞれの差は、圧倒的なのです。
しかしそこで、その奥深さに気づいたことで、
歯科医学にほのかな希望を持てるようになってきました。
ごく基本的な手技からオールラウンドに正しくできる、本当の名医なら患者さんにひどい思いをさせることもなく、無駄のない、スマートな手技で最善の結果を出すことができるのではないか、と
そしてさらに日進月歩である歯科医学の信頼できる新技術を導入するならもっと負担の少ない、結果の良い治療が可能なのではないか。
(不適切な「新技術」もあり注意が必要ですが)
たとえば麻酔一つをとっても注射の瞬間の反対の手の使い方ひとつで大きく痛覚を減らすことができます。
解剖学の知識に基づく、針先の位置のわずかな違いでその麻酔効果も大きく違ってきます。
まず臨床での気づきがあり、悩みがあり情報源を探し求めて人や本や研修との出会いがあり勉強して頭蓋骨とにらめっこして知識と手技が立体的に組みあがり、自分自身に実験したりして(驚かれるかもしれませんが麻酔も自分に自分で試します)やっと一つの違いを身につけることができます。
結局は地道な努力というありがちな話かもしれませんがどの業界にも通じることだと思います。
真のプロは見えないところで努力して戦う前にすでに一度勝っている。
また少なくともその専門分野を社会に適用するにあたって高いバランス感覚を持っていて無理をせずに、継続的に良い結果を出すことにこだわる。
トータルな視点を持った「プロフェッショナル」という立場、そうありたいと思います。
さまざまな専門分野のプロが目指す、それぞれの「道」
分野は違えどプロという生き方に共通する何か
そういうのも悪くないな、と思います。
ところで私は完全無痛を目指しているわけではありません。
歯科医と患者が完全無痛を目指すと、その関係はまるで腫れ物に触るようなものになり、その感覚はどんどん鋭敏になり、結果的に基本的な感染除去さえおろそかになり、本当のことも伝えられず、小さな問題も乗り越えられなくなり、結果的に歯は早く失われ健康に影響を与えるでしょう。
そこで私たち医師がやることは患者さんの労力が最小限になるように環境を整え、患者さんと協力して病気を治し、健康を維持することと考えます。
良い歯がもたらす健康的な食生活、美しい口元は大きなパフォーマンスの向上につながるでしょう。
悪いのは病気です。
医者と患者はともに病気と闘いともに乗り越えてゆく存在と考えます。
医者の努力だけで治したり、健康を維持することはできません。
これを証明した様々な研究があります。
卒後15年がたち、理想の診療にだいぶ近づいてきたようにも感じています。
先日、昔からの患者さんでとある宇宙ロケットの技術者の方の治療が終わりました。
結構ヘビーな治療だったんですが
治療後、「昔の」歯医者の話になり私が小さい頃受けた治療で目の前が真っ白になった話をして、
「痛くない歯医者になりたかった」という話をしたところ
「先生もうそれ実現してるよー!!」と言われました。
その時はピンとこなかったのですが
その後、帰りのバスの中でなぜか目頭が熱くなってきて困りました。
ちょっとオーバーかもしれませんが
今は歯科医療は一つの「道」、というか修行のように感じています。
一つの完成をみるまで決して神様は楽をさせてくれないようです。
困難の先に希望が見えるからこそ、「辛くない治療」と「良い治療」の両立とその実現がもたらすよい歯科医としての生き方に大きな希望を持っています。
長文にて失礼いたしました。
(2008年 記)