~かけがえのない歯を大切にする治療、価値ある治療結果、そしてつらくない治療をめざしています~

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日々雑感

肚(はら)

よく記者会見などで
「安心、安全を提供する」とか
「消費者に安心、安全を提供して」と
言われてますが

「安全」はまだ良いのですが
「安心」はキリがないのでは
と思います。

交通事故が怖いので外に出ない人もいる中で
皆に安心を提供するとか、
そもそも不可能な話で

一方で
大病にかかって生命の危機に瀕して
安心・安全とは正反対の状況の中でも
悲嘆に暮れることもなく
驚くほど前向きに
奇跡の復活をとげる人もいます

何が違うのだろうかと思います。

前向きで
悲観せず
いわゆる
肚(腹)が据わっている

昔このブログで
毎日剣を振っている80代の
世界的に有名な歯科技工士さんの
話を書きましたが
まさに肚の据わった人でした。

残念ながらその技工士さんは少し前に
心筋梗塞で突然亡くなってしまいましたが

今も「人類のために」と言って
世界を飛び回っているに違いありません。

私の身近でも
肚が据わっていて
大復活した人がいます

そういう人は
入院のベッドで寝ていて
体力を落としてしまうというのでなく

誰に言われるでもなく
体操したりして
当たり前に
復活に備えて
準備している

根本的なところで
驚くほどに
楽天的?というか
人生に希望を持ち続ける力と言うか

そういうものは
生まれつき持っている人もいるでしょうし、
波乱万丈の人生経験の結果、身に着ける人もいるでしょう。

ただそういう人達はあまり参考になりません。
肚の据わりを身に着けるためには
それを意識的に学び、身に着けた人から
学ぶ必要がある

そういう人は
日常のいろいろな機会を使って
自分の肚の落ち着きを試しているように見えます。

皆の前で、皆が自分の意見を皆が待っているときなど
ふつうドギマギしそうなのですが、
驚くほど平静に、じっくり時間をかけて考え
指示を出す

司馬遼太郎氏の関ケ原という歴史小説の中で
戦略や物流において優れた能吏であった
石田三成は
実質的に西軍の大将であったのに
戦の準備においても
何やかやと口を出さずにいられない性格だったのが

東軍の家康との大戦での出陣の前になると
周りが浮足立っているのに
どっしり時を待つようになり
その様子を見た側近の島左近が
「これは勝つかもしれん」
と思うシーンがありましたが

大事の前に
どっしりと構える
肚の据わり

これは
「安心・安全」とは
あまりにかけ離れた
相容れない概念だなあと
思います。


 
2024年11月25日 09:44

「気持ち」の場所

いやなことがあると
「頭にくるなあ」と言いますが

何が頭にやって来るのでしょうか

「氣」という書き方をしますが
気持ちが頭にあがってしまうから
「頭に来た」と言う

では本来、気持(氣)は
どこにあるべきなのでしょうか

私は武道の世界では素人なので
聞きかじりですが

「臍下丹田」という場所らしい
「肚(はら)」とも言うようです

手を軽く開いて
親指をおへそに当てて
おなかにくっつけた時の
小指の位置あたりらしいです。

そこに自分の気持ちとか心(氣)があると考える

心が落ち着いているときは
心(氣)が臍下丹田にある

心があるべきところにあることを
「落ち着く」という

座禅などの時も
ここを意識するらしいですね

なんか落ち着かないとか
具合が悪いとか
イライラしているときとか
怒っているときに
心がどこにあるか
感じてみるといいです

あと、緊張しているとき

たいていおへそのすぐ下とか
おへその上とか
胃の当たり、
喉の当たりとか
さらに頭まで
上がってしまっていることが多い

緊張したときに
「あがる」と言いますが
それです。

緊張したときとか
いやなことがあった時に

気持ち(氣)が
ポンと上に上がってしまわない

昔から日本には
「肚(はら)を鍛える」という
価値観があり

そのための武道をやっています。

ヨーロッパなどに行ったサムライが
未開人として馬鹿にされなかったのは
理由があるのだと思います

肚が座っていれば
姿勢も良くなり
周りもよく見え
卑屈に見えない

受け入れる力や
やさしさや配慮が
そこから生まれれるのでは、と思います。

親御さんが子供クラスに子供を入れるのも
そういう肚を練り、臍下丹田の
「落ち着き」を求めてらっしゃる
というのも、あると思います。

私自身、自分に足りないから
魅力的に見えるのだと思います。

合気道をするときは
型稽古をするのですが

長く稽古を続けていて
小手先の型ばかり
先に「できたつもり」になってしまうことを
恐れています。
逆に
肚が鍛えられれば
小手先をあれこれ考えなくても
すべて上手くいくはずなのです。

この考えは極端かもしれませんが
そのくらいのつもりで

せっかく肚を鍛えられる
本物の武道に出会ったのですから

自分のために、
明るく楽しく、
黙々と稽古に打ち込みたいと
思っています。






 
2024年09月01日 06:12

残心(ざんしん)

ちょっとした
物を置くときや
扉を閉めるときなどに

カツンとか、バタンとか、
音が立ってしまう場合

その直前に
気持ちが切れてしまっています

置いてから
あるいは閉めてから
すっと手を離せばいいのですが

直前に気持ちを切らしてしまうから
最後まで気が行き届かない

気は「氣」とも書きますね

最後の瞬間が大事なのに
その直前に
気が抜けてしまう

茶道とかでも習うのかもしれませんが
ふすまを開けるにも

すっと開けて
最後にバンとやらない

道具を置くときにも
音を立てない

私自身の課題でもあります。

きちんとインナーマッスルを使って
最後まで気を抜かない。

そうありたいと思っています。

合気道でも習います
技の最後に
倒れた相手に「残心(ざんしん)」を
1秒くらいしてから
間合いをとる

会話の時でも
せっかく仲良くなったのに
コミュニケーションの最後の方で
相手をけなすような
失礼なことを言ってしまって
微妙な空気感になってしまったりする人は
最後のところで
気が切れてしまっているのだと
思います。

油断するのが早いのかもしれません

親しき中にも礼儀あり
仲良くなっても油断しすぎない、
でありたい

友人とのリラックスした時間に
そんなことを考えるのかと
思われるかもしれませんが

リラックスと気が抜けるは
別のもののようです

気を許すことと
軽く見ることの違い

無礼講で無礼をしてしまう人と
しない人の違い

ここはちょっと控えようと
思うかどうか

もしかしたら
品、というものなのかもしれません。

子供クラスで
「体の力を抜くように」と言うと
フニャフニャと
その場に崩れ落ちてしまう子がいます
(ふざけてですが)

体の力が抜けていても
自分の体軸
地球の中心を貫く自分の体軸は
しっかり意識して

「気」が
あるべきところに落ち着いていて
コミュニケーションの中で
ポンと上がってしまわない

そうありたいと
思っています。



 

2024年06月22日 08:29

剣禅話

最近読んだ本は

幕末から維新後まで活躍し、
幕末三舟(勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)
の一人

山岡鉄舟氏の
「剣禅話」

幕府講武所の師範から
徳川慶喜の使者として
西郷隆盛と江戸城の
無血開城のために談判し
維新後は明治天皇の侍従を務めた

「無刀流」剣術の開祖。

無刀流剣術とは
1,勝負を争わず
  心を澄まし肝を練り
  自然の勝ちを得る
2,事理の二つを修行する
  事は技なり、理は心なり
  事理一致の場に至る
  これを妙処となす
3,心の外に刀なきなり
  敵と相対するとき
  刀に依らずして
  心を以って心を打つ
  これを無刀という

以前ブログに書いた
「7つの習慣」にも
「刃を研ぐ」という話がありましたが

やさしさにも
強さにも

心の切れ味を
保てたらいいなあと
思います。


 
2022年06月14日 22:54

そぐわないこと

仕事上の事務的なコミュニケーションでは
SNSは非常に便利ですが

ここで「最近の若い人は」とかいうと
歳を取った証かもしれません

最近は武道場でも
若者が「みんながSNSで繋がり
即時的なコミュニケーションがあれば
何とかなる」
と思っていることについて

少々残念というか
非常にもったいないと
感じています。

「即時」であることの
弊害というか

即時に
「それはどういう意味ですか?」と
質問する人は
そもそも理解する気がないのではないか
と思うときもあります。

心の琴線に触れれば
一瞬止まるはずですし

そこで出るべきか
「ひかえる」べきか

それができるか
できないかの違いが
大事ではないか、と思うのです。

たとえ琴線に触れなくても
その小さなきっかけを
空間的、立体的、
時間的にとらえて
ふくらませるような

いわゆる
「もったいぶる」ことの
大切さ

空気感と言いますか
最近の風潮とは真逆かもしれませんが
極めて日本的な
場の雰囲気づくり

そういうことをとことん
道場でやるべきだと思っています。

気安く、上下関係もなく
皆が仲良しであればいいとは
思っていません。

自らわきまえて
心を澄ませて
見ようとしなければ
見えないことを拾うような稽古

いずれそういう態度を
伝える指導ができるようになれたら
いいなあと思います。

武道場であれ、
実社会でもそうかと思いますが
経験は成長の糧であり

小さな手掛かりを拾って
持っておいて
ふくらませられるか
ふくらませられないかの違いは
大きいのではないかと感じます。

師であれ、同僚であれ
はっきり伝えられない言葉には
「そういう意味」があり

特に優れた指導者の言葉や態度には
後から創造性を爆発させるスイッチが
秘められていることも多いように感じます

すぐには理解できなくても
「拾って」おいて
結論を棚上げし
時間をかけて
小さなきっかけの価値を
最大化するような

道場はそういう感性や
思いを、
磨く場所なのではないか、と
勝手にですが、感じています。



 
2021年12月09日 05:52

先の先(せんのせん)

前回、先をとる
という言葉について書きましたので

今度は
「先の先」(せんのせん)
で行きたいと思います。

私も専門家ではありませんので
私の理解に過ぎませんが

先は「先手を打つ」の先で
例えば相手が剣を振りかぶって構えて
対峙したあと、
相手は心を決めて
打ち込んでくるわけですが

相手が心を決めた瞬間に
そして動く直前に
こちらが出る

どうやって
相手が動き出す前のタイミングを
知るのか

何を見ているのか

私もわかりません
先立つわずかな動きなのか
目の色なのか
呼吸なのか
雰囲気?

なぜか
型の稽古をしているときは
知ることができます。
野生の感性が
呼び覚まされるのでしょうか

完全に気配を消す相手だったら
怖いでしょうね。
一度ロボットが読めるかどうか
やってみたい


ところで先日
麻酔のスピードについて
書きました。

麻酔薬を注入して
患者さんの心拍が早くなりそうなら
注入速度を遅くする

ドキドキ苦しくなってから
遅くするのではありません。

また、治療を進めていて
そろそろ患者さんが
今どうなっているのか
不安になってくるかも、
と思ったら

マイクロスコープの映像で説明する
今ここまで来ました
次はどうします、とか

治療を受けた経験が少ない患者さんで
もし痛んだらどうしようかと
不安なんじゃないか、と思ったら
先に説明する

「この方法で麻酔すると
まず問題ないことが多いですが
万一痛かったり問題があれば
対処しますので
決して我慢せずに
教えてください。」

「一回目の治療で
麻酔が効きにくかったときは
そこまでで薬を入れて
セメントで蓋をします。
次回まで薬を入れておくと
次回は麻酔が効きやすくなりますので。」
とか・・・


先の先、だと思っています。

タイミングを逃すこともありますが
その場合はすみません・・・

ここまでこだわると
時間も治療コストも当然かかってしまうのですが、
ちゃんと費用はいただいていますので大丈夫です。
それでも、
私自身が受けたいと思う
理想的な歯科治療でありたいと思っています。


こう考えると
治療もそうですが
コミュニケーションは
先の先がポイントなのかなと
感じました。

稽古の中でそういう感性を磨くのも
楽しみの一つかなと思っています。







 
2021年04月01日 10:36

「とらわれない」について

合気道の型稽古で
相手がこちらの手首をつかむ、から始まる
型が多くあります。

例えば相手に右手首をぐっとつかまれると
「捕まった」(とらわれた)と感じて
体も心も止まってしまいがちです。

つかまれた瞬間にとらわれたと感じるから
体が硬くなり、
心まで止まってしまう

しかし実際に動かないのは
つかまれた右手首だけで
左手も足も体幹も首も動きます。

つかまっている右手でさえ
肘も肩も指先も動かせます。

さらに言えば
捕まっている自分の右手首の中の骨を
くりくりと動かすこともできます。
ただし自分の力が抜けていれば、です。

そして
さらに言うなら
心は自由です。

つまり
ネガティブな要素の
ネガティブな部分を見てしまって
心までとらわれてしまわないこと
硬くなって
止まってしまわないこと

そもそも
出来事をネガティブにとらえたなら
その時点で
すでに先(せん)を取られているの
かもしれません。

そうならないための稽古でもあるのかなと
勝手にではありますが
思っています。






 
2021年03月26日 13:20

新年

新年、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

正月休みは診療室に来て
床を磨いておりました。

診療室の床がきれいなことは
当たり前のことで
合気道の稽古が正月で休みなので
その代わりに
こういう、当たり前のことを
腰を入れて
一生懸命やろうと

武道家は準備運動をしないという話を
以前聞いたことがあります。

やってもいいのでは、とは思いますが
こういう話がなぜ出てくるかと
考えますと

日常の動作そのものが
足腰を使い、姿勢を正し
心が「居着く」ことなく

準備ができている、ということなのでしょう

ぐうたらな自分には高い目標ですが
修行したいと思います。

まずは、当たり前のこと、を
腰を入れて
しっかりやってみようと思います。
2021年01月07日 14:50

活動的ということ

患者様を見ていて
最近は、ご高齢でも
お元気な方が
大変多くなったと感じます。

そのような方々を見ていて思う共通点は
皆さん、肉体的に、または精神的に
「活動的である」ということです。

身の回りのことをこまごまとやっていたり
社会的つながりを維持していたり
運動をしていたり
栄養に気を付けていたり
健康チェックを受けていたり
といった人もいれば

一見そういったことに無頓着に見える人でも
元気な人は
心を使って
好きなことや、やりがいを感じることを
やっている人が多いと感じます。

では活動的であり続けるような
「前向き」な心は
どうやって得るものでしょうか。

それを知りたいところです。


私が趣味の合気道を続けている目的の一つが
前向きな心を身に着けたい、というものです。

武道家と呼ばれる人たちは
をとってもかくしゃくと活動しているイメージ

私が合気道を習っている先生は
書や剣、それ以外にも様々な道に通じていて
いわゆる現代の武道家だと思います。
唄も段持ちです

私は時々子供クラスの面倒を見させていただくことがあるのですが
子供たちに大声で指導していると
すぐに喉がガラガラになってします。

つまり腹から声が出ていない
声を出す訓練ができていない
これはスキルの問題だと思います。

ちゃんと声が出せないと
いざというときに子供たちに、ちゃんと叱る
ことができません。

「叱る」と「怒る」は全く別物で
感情の問題ではなく、スキルだと思われます。

ちょっと脱線しましたが
私のやっている武道で心について語るとき
こんな話があります。


ちょっと部屋の隅に歩いていく時でも
「体」が動いてから
「心」が動くのではない。

まず心が先に
「そこに行こう」と思うから
体が動く

どんな時でも
必ず先に心が動く

だから
心を鍛えると


「ようしやるぞ」という心もあれば
いちいち気合をいれなくても
すっと動く心、というのもあると思います。


試合やけんかに勝ったから
勝ち、なのではなく

人生の最後まで
前向きな心を持ち続けられた人こそ
本当の勝者と。

うーむ、頑張ります。


一方で
日本全国の平均を見ますと
75歳以上の後期高齢者の
実に88%が
要介護認定されているらしいです。

骨折や脳梗塞などの
イベントを機会にして
活動をあきらめてしまう人が多いと
言われています。

リハビリも体も
大変だと思います。

でも可能ならば、
まだ残っている
「できること」に着目していただき

歯が悪くなってしまっているなら
残せる歯をきちんと治療して
たんぱく質をしっかりとり
筋肉強化で

前向きな時間を
過ごしていただけたらと
思います。























 





 

2020年11月29日 10:37

「共感力について(ネガティブ・ケイパビリティ)」

先日、昇段審査を受けますか、というお言葉をいただき、
大変光栄なのですが

技や動きは、
やればやるほど身についてゆくように
感じていますが

なかなか難しいのは
心のほうです。

高段者の先輩方は
明らかに大人というか
何か違う感じがあって

自分が子供ぽい?のかもしれませんが


最近思うのは

自分は他の人が大事に思っていること
そういう繊細な部分に対する
共感力、が足りないのではないかということ

先日も
後から、しまったなあ、と思うことがありました。

この共感力を磨くというのは
どうしたらいいのか、
考えました。


わかったふりをすればいい、
ということではないのはわかります。

一つは、経験でしょうか。
経験すればわかることもある、
これは事実だと思います。


あと最近もう一つ、ヒントを見つけました。

ある本で
ネガティブ・ケイパビリティという言葉に出会いました。

とある精神科医の書いた本でしたが

今の時代はとにかく急いで結論を出したがる世の中で
素早く到達することで
わかった気になってしまう。


ネガティブ・ケイパビリティとは

「共感を持った探索をするためには
探求者が結論を棚上げする
創造的な能力を持っていなければならない」


それはつまりこうなんでしょ、とか
わかるよこうなんだよね、とか

そうやって性急に結果を出すのではなく、
答えのない、出口の見えない状況に
じっくり耐える能力

先の見えない状況の中でも取り乱さずに

必要な時間をかけて
深く感じるための胆力を培う


自分が思うに
それができる人は
なんというか、先の見えない
暗闇の中でも
根本的なところで
楽天的というか

腹が据わっている
ともいえるかもしれません。

腹の据わり
武道的なところに戻ってきました。
課題はそこかもしません。
2018年08月30日 00:00

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