~かけがえのない歯を大切にする治療、価値ある治療結果、そしてつらくない治療をめざしています~

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日々雑感

明るく楽しく

老人保健施設、いわゆる老健は
介護保険の給付対象施設であり
自宅で生活が困難になった高齢者が
リハビリを行いながら生活し
自宅復帰を目指す施設です。

私の母も老健に入っていました。
そこの施設はグループの理事長が
私の父方の親戚で
とても良くしてもらったのですが、

大きな施設は
今はコロナで
面会が大変

できても予約制、パーテーション越し、
15分までという

外泊もできない、ということで
どうしたものかと思っていたら

申し込んでいたグループホームが
空きが出たとのことで
引っ越しました

ちなみにグループホームは
介護保険の給付対象施設で
認知症患者さんたちが
協力しながら生活します

母の入ったグループホームは

家の近所ですが
周りは田んぼや梨畑に囲まれていて
どこか両親の故郷の鳥取に似ているような

そこは面会も外泊も自由で

車いすで外の散歩もできる

引っ越しの日は
私の父と私の子と私で母を連れて引っ越ししました。
部屋で子供が母の痛む足を揉んであげていて

その後、介護士さんがきて母はダイニングにおやつに行き
「これ美味しいわ、とってもおいしい」
という母の元気な声が聞こえ
ちょっと安心して私たちは家に帰りましたが
その声が最後に聞いた母の声になりました

次の日曜日は
母を車いすに乗せて
皆で散歩しよう、などと思っていたら
今度は父が腰椎の圧迫骨折でどうにも動けなくなり

東京消防庁のHPでは
65歳以上で急な腰痛で動けないときは
救急車を呼んでとありますので

救急車で、入院となり
バタバタして日曜日が終わってしまい

グループホームから電話があったのは
次の月曜日の早朝でした

救急隊からで
母が心肺停止している
延命処置をしますか?とこと

90歳、長く認知症と足の神経痛を患いながらも
直前まで元気で
寝ている間に
スッと亡くなったのです

「しなくていいです」と伝えました。
救急隊の方は「わかりました」とのこと
一応決まりなので、心臓マッサージはしますとの事でした

そう答えた理由はもう一つありました

母のその母も認知症でした。
鳥取で、さらに今のような介護サービスもなく
周りの人はすごく大変で

その様子を見ていた母は
私がボケてしまったら死なせてくれと、
よく言っていました。

そして6年前のことでした。

自宅で母の認知症が進んで
水道の蛇口も止められない
時々おかしなことをしてしまうようになり

困った父が私に「どうする」と
いろいろ相談していて

その数時間後
母は心筋梗塞で倒れました

いろいろあっても
まだ母は元気でしたし
短期記憶はなくても
瞬時の判断力とか言うことはシャープで

私は迷うことなく
心臓マッサージをして
救急隊に引き継ぎました

その数日後、生還した母に
病室でそのことを話すと
「あら、生き残っちゃったのね」と
言っていたのでした。

あれから何度も正月を家族で過ごしました。
ある正月には母は俳句を一句作りました。

「ふるさとの 海鳴り聞こゆ 初電話」

いろいろありましたが、
明るく楽しく、
よく生きてくれたと
思います。






 

2024年03月03日 05:42

出雲

先日、友人たちを出雲大社に案内しました。

行ったのは
出雲大社とその近辺と
裏出雲、といわれる
島根半島の裏側
にある神社仏閣、
古代の祭祀場などの
パワースポット

子供のころは
夏休みや冬休みに鳥取にいましたので
もう何度となく
出雲大社には行っています。

訪れると
いつも思い出すことがあります。

ーーーーーーーーーーーーーーー

十数年前
島根県松江市のインプラント学会に出席しました。
その際に
一人で一畑電鉄に乗って出雲大社に行き
お参りしました。

2礼4拍手1礼
家族の健康や診療室のこと、お願いしました。

以前ブログにも書きましたが

私の姉が亡くなったのは
そのしばらく後でした。

葬儀も
出雲大社でした。

葬儀の日、家族と喪服で
出雲大社にお参りしました

いつものように2礼4拍手1礼

それまでのことで意気消沈していた私は
その時、ハッと思いました。

家族の健康をお願いしていた出雲大社
姉が亡くなり
葬儀に出雲大社に来て
またいつものように参拝して
家族の健康を願う?
ちょっとまてよ、と

それまで平静を装っていた私は突然、
なんで死んだん?という思いになり
意気消沈して少々鬱だったのかもしれませんが
この場所に対して
なにか激しい怒りのようなものが
ふつふつと湧いてきました

そのすぐ後、子供が
「おみくじ、おみくじ!」と
おみくじを引きたがったので
一緒に引きました

神様が何を言われるのか
興味がある、みたいな
少々残酷な気持ちもありました

その内容は

待ち人
縁談
学業
仕事
方位
などなど

最後に一文
こうありました。

「神仏を恨むことなかれ」

びっくりしました
そして、
神様でも
どうにもならないこともあるんだな、と
思ったのでした。













 
2023年05月12日 09:46

陽だまり

認知症の話が連続していますが

私が診察に行っている老人ホームでのことです。

重度に認知症が進んでしまって
もはや寝返りを打つこともなく
発語や表情もなく
意思疎通も不可能な入所者のとある女性が
穏やかな陽だまりのベッドで横たわっていました。

私たちは口腔ケアのために部屋に入り
お声がけをして
お口を開けさせていただいたところ、
驚きました。

普段は乾燥気味の口腔内なのに
その日は大量の粘度の高い喀痰が
溜まっていたのです。

褥瘡防止のための側臥位であったので
窒息しなくて済んだのだと思いますが

急いで吸引器で喀痰をすべて除去し
口内を拭き上げて差し上げました。

部屋の壁にはその方の元気なころの写真や
ご家族とにこやかに過ごす写真が貼られていて

なんとなくですが、写真の中の穏やかなお顔に
戻ったような気がしました。







 
2021年08月15日 20:02

虫歯の洪水といわれた時代

夕食で鍋料理を食べたら
熱さで奥歯がじわっと痛くなって
すぐ治りましたが

噛み合わせ的に負担がかかっている歯なので
何かごく初期の問題があるのかもしれません。

こういう、あれ?ちょっと変だったぞ、と
感じたときは、何らかの問題があることが多いです。

おそらく肉眼的にもレントゲン診査でも
まだ原因を発見することはできないでしょう。

人間の体が微妙に発する危険信号は
きわめて鋭敏であると感じます。

こういう段階で
悪化していかないように
ちょこちょこっと軌道修正できるのが
本当の名医かもしれませんが

しかしながら、人の体自体も
かなり高いレベルですでにバランスをとっていることが多く
そこに人為的に手を加えることに対しては
注意が必要です。


ところで
歯痛で思い出したのですが

自分が幼児だった頃
何度か、歯の痛みで母親のひざまくらで泣いたことがありました。

だいたい夜で
「ちちんぷいぷい」とか
「痛いの痛いの飛んでけー」とか

そして朝6時台に
自転車の後ろに乗せられて2キロくらい先の
歯科医院へ行く

すると歯科医院の隣に大きな空き地があって
大きな錆びた缶?(灯油缶だったかもしれません)で焚き火をしていて
その周りにキャンプファイヤーのように
ぐるっと人が取り巻いて
暖をとりながら
順番を待っている

もちろん病院の待合室は人がいっぱいでした。

一言二言しか喋らない怖い先生でしたが
虫歯の洪水と言われていた時代で
しょうがなかったのかもしれません。

治療の後は
近くの肉屋さんで
コロッケを買ってもらって食べながら帰りました。
麻酔とか血とかで
微妙な感じだった記憶があります。





 
2020年03月16日 09:19

「言葉について」

小さい頃から
気の利いたセリフがすぐに出てこなくて
苦労してきました。

能力の問題かもしれないですが
結構言葉に詰まってしまいやすい
傾向があります。

そういう意味では意外とコミュニケーションで
苦労する方でしたが

ただ大人になるにつれて
「あの時軽々に発言しなくてよかった」
と思う場面が出てくるようになりました。

歯学部の学生だった時とか
卒業して大学病院で勤務していた時

その瞬間は「あ、今のタイミングであれを言えばよかったなあ」
なんて思っていても

よくよく考えて、後でぞっとしたりします。
「危ない、あんなこと言わなくてよかった、」と

大学で白衣を着るようになって
調子に乗っていたのかもしれませんが

周りにはいろいろな病気の人や、その家族がいて

ただ昔から言葉は出にくかったので
良かったのかもしれません。
何度か「危なかった」と思うことがありました。

合気道の先生がおっしゃってましたが
言葉は「言霊」になって
戻ってくる。
だから気をつけなくてはいけないと


言葉が出にくいことなど
昔は短所だと思っていたことが
歳と経験を重ねると
実は口が軽くないという
自分の長所だったのではなかと
思えるようになってきました。
2018年10月04日 00:00

「便利であること」

今はインターネット経由で世界中から物を買って
カードで支払ったりできるわけですが

こういうものすごい便利な世の中で
ちょっとアナログな事をしようとすると
えらい大変だったりしますね。
ネットで数秒で終わるようなことが
あっちこっち行ったり、何日もかかったり。

先日、うちの子がコペンハーゲンの空港の手荷物検査で
ナップサックを忘れて、デンマーク警察の遺失物係に
送金したことがあるのですが、
デンマーククローネで何クローネをこの銀行のこの口座にとか・・・

日本の銀行から円でさっと送れるかと思ったら
まだまだ、そういうところはダメなんですね。
こういうところは、シンガポールとか香港の方が
進んでるんでしょうかね。

金融機関の人も良くわからなかったりして
送金手数料もだいぶ高いですし、
送金先の銀行でも管理料を取られるかもしれないので
相手先に送った金額が届くかわからん(なんだそれ?)
みたいな

米ドルなら送れるとのことでしたが
米ドルとデンマーククローネのレートなどは
自分で調べなくちゃいけなくて
家に帰ってきて調べてまた行って
やっと書類を書き始めたら何とかNo.が必要です、とか・・・
時差もあるので後日相手先に確認して書き込んで再び出直す始末。

やっと受理されたかと思ったのですが
1週間後に電話がかかってきて、書類を修正してくれとのこと。
まだ日本にいたのかい!と思いましたが。

まあおかげさまで
ナップサックは1か月後にようやく帰ってきまして
子供のニンテンドーDSとポケモンソフトも帰ってきました。

ちなみにデンマークの警察の人も
「ポケモン」と言ってました。
世界共通語ですね。


情報技術の進歩で買い物もコミュニケーションにおける
距離の影響もえらく変わりました。
直観的なインターフェイスの下にある
極めて高度な技術
ちょっとしたほころびは
生活上の大きな支障につながる、
今日の社会の弱点かもしれませんね。
2012年11月11日 00:00

「北極圏に行ってきました」

北欧の北極圏最大といわれる都市に
歯学部を持つ大学があり、
行く機会がありました。

日本に比べるととても物価が高くて
2倍以上でしょうか。

税率も極めて高いのですが
その代わりに公共サービスが極めて充実しています。

あの雪と氷と気候ですから
インフラとその管理が相当充実していないと
たちまち村々は孤立化して
生命にかかわる危機に瀕するでしょう。
当然払うだけの理由がある、
ということでしょうか。

でも治安が良くて
人々が親切なことにも驚きました。

今回の旅ではあまりにいろんなことがありました。

荷物のことで地元の警察に世話になり
(自分の不注意ですが)
北極圏の風雪の中、スーツケースをひいて歩いて
地元の言葉でその名称がよくわからずに
さんざん雪道を歩いて別のホスピスを訪れてしまったり
その上ATMがなぜか使えず
たまたま自分の番でセルフチェックイン機が故障して、
オスロ空港でエレベータが故障して閉じ込められ
やっと乗った成田行きではオーバーブッキング・・・

ある意味ずいぶん勉強になりましたが。


それからなんと念願のオーロラも見ました。


人里離れた雪原で2~3時間くらい待っていると
現れました。

光る雲のようなものかと想像していたのですが
そんなのんびりしたものではなく

光る砂を空からまいたように
ふわーっと落ちてきたり
カーテンのように揺れてパッと消えたり
光の筋のような直線になったり
まさに変幻自在で
空一面に見ることができました。

晴天率の低い地域なので
とてもラッキーだったようです。
2012年03月31日 00:00

「また行ってきました」

今月の連休+2日ほどお休みをいただいて
またロサンゼルスに行ってました。

今回は見学ではなく
インプラント関連の研修と
審美歯科関連の研修。

今や日本の治療レベルも相当に高く
情報もすばやく、手に入る時代なのですが
わざわざ行ってこそ、わかることもあります。

最終日は時間があったので
お土産にチーズケーキを買って帰ろうと
お店まで行ったのですが
常温は無理とのことで諦め、
ぶらぶらしてバスを乗り継いで
飛行場まで行きました。

あちらのバスは危なっかしくて
車内で喧嘩が始まったり、
空港周辺は危ない地域だったりするので
慣れない私としては
けっこう緊張しましたが。

行き先表示を見るのに一生懸命で
座席の背もたれに手を置いていて
黒人のおばさんに怒られたりしたのですが

そのおばさんが
あんたどこまで行くのさ、とか
次は何とか通りだからまだよ、とか
遠すぎるから座りなさいよ、とか

別のバスでもやっぱり黒人の
おばあさんに世話になって
「その人ハワイ人みたいだから
シャトルまで行くわよ」などなど

皆、お礼を言うと気持ちのいい笑顔を
返してくれました。

治安には気を付けるに越したことは
ないのかも知れませんが

貧しさはあっても
いかにも下町らしい
血の気の多さと
おせっかいなほどの親切を
感じた旅でした。
2011年09月27日 00:00

「お正月」

皆様、あけましておめでとうございます。
今年が、皆様にとって健康で充実した1年となりますよう、
お祈りしております。

我が家は年末の姉の件がありましたので
派手なお祝いはない正月でした。

年末は30日まで仕事してましたが、
歳が明けて三が日は
初日の出を見に行ったり、
折りたたみ自転車など出して
子供と近所の公園などでぶらぶらしてました。

そして4日からは
北海道の小樽へスキーに行きました。
私は北海道フリーク、とまではいかないかもしれませんが
十数年前から年1~2回のペースで
遊びに行っています。

いつもレンタカーを借りていますが
今年の山中の吹雪はすごかった。
吹雪の中での地元民の運転の飛ばしっぷりにも
驚きましたが。

小樽はいい町です。
札幌のように巨大で移動が大変、ということも無く
風情があって、食べ物がおいしく
温泉もいい。

我々夫婦は自分から飲むほど
アルコールが好きではないのですが
どちらも歯医者のくせに
どちらかというと甘い物好きです。

今回もいろいろ行ってきました。

過去の名店が
なんだかいまいちになっていたり
(驕りのせいでしょうか)
新進気鋭の店の中には
一口だけで
「むむっ、これはちがう」と思わせる店があります。

勉強になります。
この「知り尽くしている」という感じ。

私は医療をやっていますので
まずよい結果をめざすことは大前提ですが
それを踏まえたうえで
歯科に対する、あまり良くない既成概念を
持って来院された患者さんに
「むむっ、これはちがう」と、
思ってもらえるような、

そんな医院を目指したいと考えています。
2010年01月07日 00:00

「2連休」

この2日間は、なかなか楽しい連休でした。

1日目の午前は合気道で、

その後家族で
厚木にB級グルメの「B-1グランプリ」で有名になった
シロコロホルモンを食べに行きました。

でも調べていった店はタッチの差でシロコロが終わってしまい、とりあえず露天で「シロコロ」という串焼きを購入。
「これは本物なのか」と言いながらいただきましたが・・・

そして、湯河原に行き温泉に入りました。

その後、駅から徒歩10分(結構寂しい)の
ところにある、とある店で夕食。

この店は生活感にあふれた店内ですが
見るからに只者でない店主が
すばらしい海鮮丼を作ります。
それも意外と安いです。

そして1泊して
今朝早く私だけ東京に向かい
今日は1日、研修を受けてました。

研修は
最新の知識を得たり、技術を高めたり、
新しい価値観に触れたりすることができて、
私のライフワークの向上に直結していることが実感できるので、とても好きですね。
2009年10月12日 00:00

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