~かけがえのない歯を大切にする治療、価値ある治療結果、そしてつらくない治療をめざしています~

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日々雑感

喧々諤々(けんけんがくがく)(開業物語その2)

前回の続きです

当時のM院長と私はとある会合に参加しました。
その後、打ち上げの会があるとのこと。

東京都の歯科の保険医協会という巨大組織があって
そのカリスマ的会長のN先生もくるとのこと

人見知りの気のある私は知らない人たちとの飲み会に
めんどくさいなあ、という気持ちがあって

帰ろうかなあ、なんて考えていたのですが
院長から「先生、こういうのは出ておくものだよ」
とヒソッと言われ、出ることにしました。

そのうちにお酒も入り
だんだんN会長のもとに若い歯科医たちが集まり始め
歯科について、保険制度についてなど
大激論になり

N会長が
「僕はこうやって、若い人たちと
喧々諤々、口角泡を飛ばして議論するのが大好きだ!!!」
と言っていて(確かに大物)
大いに盛り上がりました。

後日、市川先生という方が
高齢のため、広尾にあるクリニックを継いでくれる人を
探しているという話があり

結局、M院長とN会長に推薦していただいて、
イチカワ歯科という医院の広尾分院長として
引継ぎを前提として
勤務することになったのでした。


次に続きます

 
2024年05月14日 13:26

25年前(開業物語その1)

もう25年くらいになりますか
ここ広尾で開業する前は自由が丘にある
歯科医院に勤務していました。

その院長は全国的にも有名な開業医で
驚くほどのバイタリティーで
話は論理的、科学的でありながらも
情にすこぶる厚く

いつでも
歯科が世の中にできることや
治療のこと、患者さんのこと、スタッフのことを
いつも考えていて

新製品の開発などでも
ブルドーザーのように周りを動かす
パワーがあって

歯科はすばらしい、が口癖で

私は憧れていましたが
憧れて真似したからといって
「この人には成れないな」
と思った人でもありました。

数年前に亡くなってしまいましたが
亡くなる直前には
スタッフに一人一人病室に来てもらって
全員にお礼を言ってから
亡くなったらしい

どこまで完璧なんだと
思いますが

ちなみにその医院は
初診患者さんが全国から来ていて

私が勤務していた25年前のある日
「この医院で診てほしい」と
とある初診患者さんが来ました。

初診の方なので
他の医院で以前に治療を受けていて

私はその口の中を見て驚きました。

ゴールドのインレー修復という治療だったのですが
これまたこんな精緻な治療があるのか!
と思うような、上手さで

どこでこれは治療したのですか、
と尋ねると

広尾のイチカワ先生という方らしい

(イチカワ先生?うーむ知らんなあ)

でも当時生意気だった私はその患者さんに言いました。
「あなたはその医院に戻るべきだ」と
ほんと生意気でしたが

私はその時、将来そのイチカワ歯科を自分が引き継いで
広尾で開業するなどと
思ってもいなかったのでした。

次に続きます



 
2024年05月14日 10:46

俳句

俳句趣味というのも
認知症やフレイルなどの予防にいいかもしれません。

句を作るために
旅行に行ったり

季語とか勉強する必要もありますし

前回は私の母の俳句を紹介したので
今回は父のものを

「天を指す 指から乾く 甘茶仏」

某省の監察官をやっていた父らしい句です。

ちなみにこの句は
とある俳句講習会で発表したら
関係者のまた関係者のさらに別のグループの
知らない人に新聞投稿されてしまって
その人が賞をとってしまったという、

この世界も油断ならん?ようです


 
2024年03月03日 07:52

明るく楽しく

老人保健施設、いわゆる老健は
介護保険の給付対象施設であり
自宅で生活が困難になった高齢者が
リハビリを行いながら生活し
自宅復帰を目指す施設です。

私の母も老健に入っていました。
そこの施設はグループの理事長が
私の父方の親戚で
とても良くしてもらったのですが、

大きな施設は
今はコロナで
面会が大変

できても予約制、パーテーション越し、
15分までという

外泊もできない、ということで
どうしたものかと思っていたら

申し込んでいたグループホームが
空きが出たとのことで
引っ越しました

ちなみにグループホームは
介護保険の給付対象施設で
認知症患者さんたちが
協力しながら生活します

母の入ったグループホームは

家の近所ですが
周りは田んぼや梨畑に囲まれていて
どこか両親の故郷の鳥取に似ているような

そこは面会も外泊も自由で

車いすで外の散歩もできる

引っ越しの日は
私の父と私の子と私で母を連れて引っ越ししました。
部屋で子供が母の痛む足を揉んであげていて

その後、介護士さんがきて母はダイニングにおやつに行き
「これ美味しいわ、とってもおいしい」
という母の元気な声が聞こえ
ちょっと安心して私たちは家に帰りましたが
その声が最後に聞いた母の声になりました

次の日曜日は
母を車いすに乗せて
皆で散歩しよう、などと思っていたら
今度は父が腰椎の圧迫骨折でどうにも動けなくなり

東京消防庁のHPでは
65歳以上で急な腰痛で動けないときは
救急車を呼んでとありますので

救急車で、入院となり
バタバタして日曜日が終わってしまい

グループホームから電話があったのは
次の月曜日の早朝でした

救急隊からで
母が心肺停止している
延命処置をしますか?とのこと

90歳、長く認知症と足の神経痛を患いながらも
直前まで元気で
寝ている間に
スッと亡くなったのです

「しなくていいです」と伝えました。
救急隊の方は「わかりました」とのこと
一応決まりなので、心臓マッサージはしますとの事でした

そう答えた理由はもう一つありました

母のその母も認知症でした。
鳥取で、さらに今のような介護サービスもなく
周りの人はすごく大変で

その様子を見ていた母は
私がボケてしまったら死なせてくれと、
よく言っていました。

そして6年前のことでした。

自宅で母の認知症が進んで
水道の蛇口も止められない
時々おかしなことをしてしまうようになり

困った父が私に「どうする」と
いろいろ相談していて

その数時間後
母は心筋梗塞で倒れました

いろいろあっても
まだ母は元気でしたし
短期記憶はなくても
瞬時の判断力とか言うことはシャープで

私は迷うことなく
心臓マッサージをして
救急隊に引き継ぎました

その数日後、生還した母に
病室でそのことを話すと
「あら、生き残っちゃったのね」と
言っていたのでした。

あれから何度も正月を家族で過ごしました。
ある正月には母は俳句を一句作りました。

「ふるさとの 海鳴り聞こゆ 初電話」

いろいろありましたが、
明るく楽しく、
よく生きてくれたと
思います。






 

2024年03月03日 05:42

面会

今日は老人保健施設に入った認知症の母の面会に行きました

自宅では移動やトイレ、痛みの管理など、介護があまりに大変になってしまい
とうとう施設にお願いする形になったのです

はじめ本人は家に居たがったので
実は施設に入ってもらったことに
私は良心の呵責のようなものを
感じ続けていました

今頃どうしてるんだろう、
帰りたがってないか、とか

面会は
コロナの流行もあるので
ビニール越しの15分間だけでした

会う前はどんな状態か心配していたのですが

施設の人が
「施設の暮らしはどうですか」
と聞くと
「そんなことひと言じゃ言えない」と言い
思わす施設の人も笑っていて

「いいこともあれば、悪いこともある、ですか?」
と聞くと

「悪いこと、はない」
「何でもしてもらえるし、楽」とのこと

睡眠もよくとれているらしく

いろいろとまあ
なかなか楽しい面会時間でした

次に来るときは俳句の本を持ってきてほしい
とのこと。

正直、元気そうで
驚きました。

施設の人には
良くしてもらっているそうです。

見た目はおばあさんですが
昔の母のように
明るさと、施設の人など周りの人への気配りと
話にユーモアがちゃんとあって

自分が言うのもなんですが
やっぱりあの人は
すごい人です

看護師さん曰く
最近は足など痛がらず
鎮痛剤の使用量が入所時の半分以下になっていて
もっと減らせそうだとのこと

面会時間が終わり
家に帰りたがるということもなく
機嫌よく、またねと終了し


我が家にいたころのあの日々は

夜中に二人がかりで
何度も
やっとこさトイレに連れて行ったり
朝まで神経痛で痛がって眠れなかったあの日々は

いったい何だったのか


施設にもよるのかもしれませんが
プロに任せるのが、結局良かったんだなと
思いました。








 
2023年12月14日 18:16

とんでけー

昨晩は
もう90近い
認知症の母が
足の神経痛がひどく痛く
苦しいらしく

寝てもすぐ痛みで目が覚めてしまうようで
誰かいないか、というので

そばで面倒をみていました。

1時と3時、4時を過ぎ
あまりの痛みに
足を切り落としてしまいたいほど、とのこと

こんな人生の最後まで人を苦しめる
痛みとは

いったい何なのか

4時半くらいに
つかの間の眠りについた母を見て

私が小さいころ
虫歯が痛くて
朝方まで母のひざ枕で
泣いたことを思い出しました。

「いたいのいたいの

とんでけー」

今の私より
ずっと年若かった母は
どういう気持ちだったんだろうと
思いました。

2023年09月07日 04:16

出雲

先日、友人たちを出雲大社に案内しました。

行ったのは
出雲大社とその近辺と
裏出雲、といわれる
島根半島の裏側
にある神社仏閣、
古代の祭祀場などの
パワースポット

子供のころは
夏休みや冬休みに鳥取にいましたので
もう何度となく
出雲大社には行っています。

訪れると
いつも思い出すことがあります。

ーーーーーーーーーーーーーーー

十数年前
島根県松江市のインプラント学会に出席しました。
その際に
一人で一畑電鉄に乗って出雲大社に行き
お参りしました。

2礼4拍手1礼
家族の健康や診療室のこと、お願いしました。

以前ブログにも書きましたが

私の姉が亡くなったのは
そのしばらく後でした。

葬儀も
出雲大社でした。

葬儀の日、家族と喪服で
出雲大社にお参りしました

いつものように2礼4拍手1礼

それまでのことで意気消沈していた私は
その時、ハッと思いました。

家族の健康をお願いしていた出雲大社
姉が亡くなり
葬儀に出雲大社に来て
またいつものように参拝して
家族の健康を願う?
ちょっとまてよ、と

それまで平静を装っていた私は突然、
なんで死んだん?という思いになり
意気消沈して少々鬱だったのかもしれませんが
この場所に対して
なにか激しい怒りのようなものが
ふつふつと湧いてきました

そのすぐ後、子供が
「おみくじ、おみくじ!」と
おみくじを引きたがったので
一緒に引きました

神様が何を言われるのか
興味がある、みたいな
少々残酷な気持ちもありました

その内容は

待ち人
縁談
学業
仕事
方位
などなど

最後に一文
こうありました。

「神仏を恨むことなかれ」

びっくりしました
そして、
神様でも
どうにもならないこともあるんだな、と
思ったのでした。













 
2023年05月12日 09:46

陽だまり

認知症の話が連続していますが

私が診察に行っている老人ホームでのことです。

重度に認知症が進んでしまって
もはや寝返りを打つこともなく
発語や表情もなく
意思疎通も不可能な入所者のとある女性が
穏やかな陽だまりのベッドで横たわっていました。

私たちは口腔ケアのために部屋に入り
お声がけをして
お口を開けさせていただいたところ、
驚きました。

普段は乾燥気味の口腔内なのに
その日は大量の粘度の高い喀痰が
溜まっていたのです。

褥瘡防止のための側臥位であったので
窒息しなくて済んだのだと思いますが

急いで吸引器で喀痰をすべて除去し
口内を拭き上げて差し上げました。

部屋の壁にはその方の元気なころの写真や
ご家族とにこやかに過ごす写真が貼られていて

なんとなくですが、写真の中の穏やかなお顔に
戻ったような気がしました。







 
2021年08月15日 20:02

虫歯の洪水といわれた時代

夕食で鍋料理を食べたら
熱さで奥歯がじわっと痛くなって
すぐ治りましたが

噛み合わせ的に負担がかかっている歯なので
何かごく初期の問題があるのかもしれません。

こういう、あれ?ちょっと変だったぞ、と
感じたときは、何らかの問題があることが多いです。

おそらく肉眼的にもレントゲン診査でも
まだ原因を発見することはできないでしょう。

人間の体が微妙に発する危険信号は
きわめて鋭敏であると感じます。

こういう段階で
悪化していかないように
ちょこちょこっと軌道修正できるのが
本当の名医かもしれませんが

しかしながら、人の体自体も
かなり高いレベルですでにバランスをとっていることが多く
そこに人為的に手を加えることに対しては
注意が必要です。


ところで
歯痛で思い出したのですが

自分が幼児だった頃
何度か、歯の痛みで母親のひざまくらで泣いたことがありました。

だいたい夜で
「ちちんぷいぷい」とか
「痛いの痛いの飛んでけー」とか

そして朝6時台に
自転車の後ろに乗せられて2キロくらい先の
歯科医院へ行く

すると歯科医院の隣に大きな空き地があって
大きな錆びた缶?(灯油缶だったかもしれません)で焚き火をしていて
その周りにキャンプファイヤーのように
ぐるっと人が取り巻いて
暖をとりながら
順番を待っている

もちろん病院の待合室は人がいっぱいでした。

一言二言しか喋らない怖い先生でしたが
虫歯の洪水と言われていた時代で
しょうがなかったのかもしれません。

治療の後は
近くの肉屋さんで
コロッケを買ってもらって食べながら帰りました。
麻酔とか血とかで
微妙な感じだった記憶があります。





 
2020年03月16日 09:19

「言葉について」

小さい頃から
気の利いたセリフがすぐに出てこなくて
苦労してきました。

能力の問題かもしれないですが
結構言葉に詰まってしまいやすい
傾向があります。

そういう意味では意外とコミュニケーションで
苦労する方でしたが

ただ大人になるにつれて
「あの時軽々に発言しなくてよかった」
と思う場面が出てくるようになりました。

歯学部の学生だった時とか
卒業して大学病院で勤務していた時

その瞬間は「あ、今のタイミングであれを言えばよかったなあ」
なんて思っていても

よくよく考えて、後でぞっとしたりします。
「危ない、あんなこと言わなくてよかった、」と

大学で白衣を着るようになって
調子に乗っていたのかもしれませんが

周りにはいろいろな病気の人や、その家族がいて

ただ昔から言葉は出にくかったので
良かったのかもしれません。
何度か「危なかった」と思うことがありました。

合気道の先生がおっしゃってましたが
言葉は「言霊」になって
戻ってくる。
だから気をつけなくてはいけないと


言葉が出にくいことなど
昔は短所だと思っていたことが
歳と経験を重ねると
実は口が軽くないという
自分の長所だったのではなかと
思えるようになってきました。
2018年10月04日 00:00

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