残心(ざんしん)
ちょっとした
物を置くときや
扉を閉めるときなどに
カツンとか、バタンとか、
音が立ってしまう場合
その直前に
気持ちが切れてしまっています
置いてから
あるいは閉めてから
すっと手を離せばいいのですが
直前に気持ちを切らしてしまうから
最後まで気が行き届かない
気は「氣」とも書きますね
最後の瞬間が大事なのに
その直前に
気が抜けてしまう
茶道とかでも習うのかもしれませんが
ふすまを開けるにも
すっと開けて
最後にバンとやらない
道具を置くときにも
音を立てない
私自身の課題でもあります。
きちんとインナーマッスルを使って
最後まで気を抜かない。
そうありたいと思っています。
合気道でも習います
技の最後に
倒れた相手に「残心(ざんしん)」を
1秒くらいしてから
間合いをとる
会話の時でも
せっかく仲良くなったのに
コミュニケーションの最後の方で
相手をけなすような
失礼なことを言ってしまって
微妙な空気感になってしまったりする人は
最後のところで
気が切れてしまっているのだと
思います。
油断するのが早いのかもしれません
親しき中にも礼儀あり
仲良くなっても油断しすぎない、
でありたい
友人とのリラックスした時間に
そんなことを考えるのかと
思われるかもしれませんが
リラックスと気が抜けるは
別のもののようです
気を許すことと
軽く見ることの違い
無礼講で無礼をしてしまう人と
しない人の違い
ここはちょっと控えようと
思うかどうか
もしかしたら
品、というものなのかもしれません。
子供クラスで
「体の力を抜くように」と言うと
フニャフニャと
その場に崩れ落ちてしまう子がいます
(ふざけてですが)
体の力が抜けていても
自分の体軸
地球の中心を貫く自分の体軸は
しっかり意識して
「気」が
あるべきところに落ち着いていて
コミュニケーションの中で
ポンと上がってしまわない
そうありたいと
思っています。