「習うことについて」
もう10月も終わりに近くなり夏が過ぎると早いですね。
歳とともに、1年がどんどん早くなります。
歯科医になって20数年、
やっと落ち着いてきたかなあという思いもありますが、
まだまだ勉強しなければならないこともたくさんあります。
奥の深い世界で
なんというか、
ロマンがあるというか
そういう分野で、よかったです。
歯科学のなかでも
いまだによくわかっていない分野もあります。
それは、
「かみ合わせ」のような
日々の臨床に直結しているのに
じつはあまりよくわかっていない
そういったものがあります。
いくつかのグループが
自分たちの理論こそが正しいと
主張しあい続けて
結局証明できずに
うやむやのままになっている
正解はいくつかある可能性もあります。
でももっとも合理的で無理のない正解はどれか。
その答えを持っていて、そしてそれを教えられる人は
ひょんなところにいるかもしれません。
世界の様々な理論の提唱者の臨床を実地で見てきて
一緒に仕事をしてきて
その後、最も合理的な答えを見つけて
それを日々自分の手を動かして
実現している人
本物かどうかは、その人に習った人が
結果を出せるかどうかを
みればわかります。
今はそういう人のもとにも
研修に行っていまして、
そこはずいぶん下町にある
えらく古い感じの建物で
機械など何もかにも
まあ、古いというか
でもその理論に
希望を感じるわけです。
最高を提供できる可能性を
以前、こんな話を読みました。
日本人で世界的に有名な、とある心臓外科医が
ある手術法を改良するに当たり
悩みます。
すでに答えは教科書にはのっていないわけです。
そして彼はある日、とある筋からヒントを得ます。
その答えはもしかしたら
スペインにいる天才とも、変人とも言われ
学会から無視されている
心臓病理学者が持っている可能性がある。
彼はスペインに飛び
気難しげな顔の病理学者を訪ねる。
彼は病理学者の妻に言います。
ご迷惑かもしれませんが、御主人にどうしても教えていただきたい
妻は答えます。
よく来てくださったわ。
主人はあなたのように一人で飛び込んでくる人が
大好きなんです。
遠慮なくなんでも聞いてください。
それが一番嬉しいのよ、と
物事を習う以上
礼を尽くして習い、
腹を括って
質問するわけです。
(腹を括るというのは
正しい日本語でないらしいですが)
自分が成長してくると
若いころのように
何もかもが素晴らしいお手本など
いなくなります。
若い先生の時などは
見えてしまうこともある。
でもそこでああだめだと
思ってしまうと
学べないわけです。
素晴らしいところをしっかり見て
時にそれが見えるまで待って
そして学び取る
そういう、出会い
学びの場、距離感、そして
その空気感
そういう場にいることができて
本当によかったと
思うわけです。